001.Exceed Mach 1! #003

 自然と笑みが漏れたところで、拳をふわりと開いた。
「さて。俺も手伝うか」
 クローゼットに近付くと、克也から「省介」と呼び掛けられる。
「やりたくなったんなら、やろうぜ。バンド」
 向けられたのは子供の頃から変わらない、抜けるような青空を思わせる笑顔。
「いや、実際にどうとかってことじゃ……」
 わくわくする気持ちに押し出された言葉が本心だったとしても、実現させるにはしがらみが多い。
 返事を濁す俺に構うことなく、更に声が飛ぶ。
「ボンは聞くまでもないよな。保は?」
「え、でも、ロックなんて歌ったことないし! “エリーゼ”の常連さんにばれたら気恥ずかしいし! それに、MCなんて絶対無理だから!」
 俺達の中で唯一バンド未経験の保は、趣味と健康の為に子供の頃から声楽を習っている。好まれる歌唱法は大きく異なるにしても、基礎固めには有効だし技術の転用も可能だ。
 更にはジャンルに垣根を持たず多くの音楽を聴き、観客としてならライブやコンサートにも足を運ぶ。
 ロックボーカリストとして即戦力になれる適性は揃っていた。
 ――本人も自覚しているパッシブさを除けば。
 一人で切り盛りしている名曲喫茶の接客でさえ、必要に迫られない限りは聞き役だ。
 それを考えると、オーディエンスとのやりとりなんて超高所からのバンジージャンプに等しいんだろう。
 自虐的なため息をついてダンボールを開く保から克也に視線を移し、眉と反比例させるように肩を上げて見せる。
「俺も色々制約あるしな」
 まるで音の壁だ。
 マッハ1に近付く程抗力は増し、音速を突破することを阻む。
 望む世界はすぐそこなのに。
「制約って」
 ぽかんと言った克也が、信じられないものでも見るような目で言葉を継ぐ。
「プライベートでなにしようと自由なんじゃないの?」
「そうも行かないんだよ」
 俺が勤めるのはお嬢様校として通りのいい都内の私立高校で、芳名や校風を維持する為に教職員にも品行方正さが求められる。
 常に模範であるよう、学校の顔として校外においても気を緩めぬようにとも指導されていた。
「むぅ」
 顎に手を当てて一考してから、「なら」と克也。
 保が確認中のダンボールにたまたま入っていたウィッグを一つ取り、俺の頭に乗せて親指を立てる。
「これで解決☆」
「してないだろ」
 即座にツッコミを入れれば、星が飛び散るような満面の笑みを浮かべて胸を張られた。
「大丈夫だって。それかぶって化粧したらばれねぇよ」
 お前、その自信はどこからくるんだ。
 呆気にとられるその脇で、
「ほい。お前も」
 やはりたまたま掴んだウイッグを保にかぶせる。
「んで、MCは俺がやるってことでOK?」
「Yes. No problem! Yeah!」
 180度転換してのまさかの快諾だ。
「あんなテンションの保は初めて見たな」
 スイッチが入ったのかサムズアップして答える姿を眺めていると、ソファーでだらけ直していたボンに話し掛けられた。
「重心固定のアクティブな安定もまた安定じゃねぇの?」
「俺はおきあがりこぼしか」
 とはいえ“アクティブな安定”にも一理ある。
 理事会の意向で簡単に解雇されるような職場なだけに、動かないイコール安定とは限らないからだ。
 バンド活動とは無関係のきっかけで職を失う可能性だってある。
 物分りの良さや理に適った行動が『最悪の結果以外』に結びついてる保障がないことも、経験上わかっていた。
「むしろ、やじろべえだな」
 学校にバレないよう極力心配りをしつつ、それでも万が一の時は万が一の時だ。
「ベースは任せておけ。克也の勢いのあるドラミング好きだし、こっちもらうな」
「おー!」
 腹をくくったところで、適当にかぶせられたままだったウィッグを外す。
 目にも鮮やかなスカーレットカラーのヴィジュアル系スタイルのそれと、自分のイメージとのギャップに狼狽した。
「それにしても、派手過ぎないかこれ」
「こっちにまだ色々あるぜ。ちょっと見てみ」
 トップにハーフアップをプラスした長い黒髪を取り、地毛を整える保から預かったダンボールを克也が揺する。
 興味をひかれたのか寄ってきたボンが、珍しく感情のこもった声を発した。
「マジか」
 その手にあるのは、本格的な仮装用と思しきマリー・アントワネット風のかつらだ。
「えー」
 保も、笑う要素皆無の気合の入ったパンチパーマのウィッグを持ったまま固まる。
「いや、うん」
 俺のチープな落ち武者ヘアはパーティーグッズだろう。
 誰の胸にも浮かんだ疑問を克也が投げ掛けた。
「お前の父ちゃん、この時期なにがやりたかったの?」
「……機会があったら……、……聞いてみる……」
 仕事の関係で年間のほとんどをアメリカやヨーロッパで過ごしていることもあり、保の父さんはあまり日本に帰ってこない。
 片付けの大雑把さから窺える通りの性格で、連絡のつき具合も微妙だ。

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