002.The sky goes away #006

 気遣うように名前を呼ばれたところで、信号音が新たな着信を告げた。
「ごめん、キャッチ入った」
 利佳の名前と電話番号を画面で確認し、「仕事」と省介に伝える。
 大切かつ時間の掛かる用件だと判断したんだろう、すぐに電話を切る体勢に入られた。
「そうか。じゃあ、また」
「悪い、改めて連絡するから」
 別れの挨拶も手短に、利佳との通話に切り替える。
 用件は予想通り作曲関連のことで、連泊に出掛ける前にまとめて送るコード進行について説明するものだった。
 業務連絡とも言うべきやり取りの後、通話終了をタップするとスマホの電源も切る。
「旅行か。楽しそうだな」
 ふと笑みがこぼれた。
 けれど、自分でも訳のわからない負の感情がそれを追って這い上がってくる。
「面倒なことは全部押し付けて、自分は羽根を伸ばすってか?」
 こみ上げてきた激昂のままに笑顔をむしり取り、叩き付けるように投げ捨てた。
「ふざけんな」
 俺だってやりたいことはあったのに。
 あったはずなのに。
 全部後回しにしてるうちに、思い出せなくなった。
 なんで俺ばっかりこんなに苦しまなきゃなんないんだ。
 さっきまであれ程楽しくて温かかった気持ちは、冬空の下で水を浴びせられたように冷え切っていた。

 ――精神という名の振り子が異常な振れ方をしているのを感じる。

「怒んなくていいことで怒ってんな、俺」
 毎日同じように必死で過ごして、たまのオフに旅行に行ったくらいで責められるなんて理不尽だ。
 作詞作曲は好きだし、ツギハギ作業にしたって本当に嫌なら放棄すればいい。
 新譜ができずに困るのは全員同じ。
 歌を作る奴がいなくなったら、他の誰かが死に物狂いでやるだろう。
 プライドにこだわらなきゃ、外注って手もある。
 そうなったら、俺の存在価値そのものが揺らぎそうだけど。
「なにこの情緒不安定。もういっそ消えてなくなりてぇ」
 相談しようとしたところで、なにをどう伝えていいかわからない。
 散らばった思考や感情を掻き集めてみても、泥状になったそれは不快な粘度と感触で掌に張り付くだけだった。
(薬、持ってればよかったな)
 処方薬は、あれから数を減らすことなく引き出しに入れたままだ。
 薬に対する信頼感なんてもうなかったけど、飲めばマシになるかもしれない。
 少なくとも今よりは。
(帰ろ)
 手にしていたスマホに視線を落とし、眉をひそめる。
 ――さっき。
 キャッチが入った際に表示された名前を見て、咄嗟に出たのは“メンバーから”ではなく“仕事”という言葉だった。
 作曲関連の話が濃厚だったとしても、他の用事でかけてきた可能性だってあったのに。
(俺も同じだったんだな)
 一緒に音楽をやる“仲間”じゃなく、与えられたプロジェクトをこなす為の“同僚”だって思ってたのは。
 唇を噛むと、握り締めていたスマホをポケットに押し込む。
 それから傍らに置いていたケース入りのDVDを取り、ウエイトに対してひどく重く感じる上体を膝で押し上げた。

 ――と。

「……?」
 なにかの気配に面を向けた前方――。

「有り得ないだろ」
 そこには、ステージ衣装に身を包んだ俺が立っていた。

(こんなのは幻視だ)

 それが正解だったとしても、鏡で見るよりずっと力のある目でこちらを射抜きつつ、距離を詰めてくるさまに気圧される。

「“みんなが望む”俺と」

 ゆっくりと。

「“みんなに望まれることを望む”トーヤと」

 じりじりと。

「“どちらも望まず望まれない”お前と」

 俺に向け、規則的に繰り出されていた足が止まる。

007
☆☆☆
INDEXExceed Mach 1!(シリーズ)
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