002.The sky goes away #007

「いらないのは誰なんだろうな」

 鼻先を突き付けて問われ、反射的に後ずさった。
 真後ろに引いたつもりの足が踏んだのは外縁の際。
 バランスを崩した身体が宙に沈む。
 その拍子に右手を離れたDVDが、空に舞った。

「っ!」
 頭から落ちながらも、幸い手近にあった横木を掴む。
 無理な体勢からの振りと加重とで、手首から肩に向けて鋭い痛みが走った。
「うあっ」
 弾かれた手に替えて右手でぶら下がり、それ以上の落下を食い止める。

 ――プラスチックケースが床を跳ねる音が、頭上から聞えた。

(左手、……やったな)
 乱れた息を落ち着けている間もなく、だらりと垂れた手に視線をやる。
 同時に飛び込んできた光景に、自分が置かれている絶望的な状況を痛感させられた。
「嘘、だろ」
 マンション四階程の高さから落ちて、ただで済むとは思えない。
 見上げたデッキは俺には遠くて、怪我をしていなかったとしても上りきるのは無理だ。
 ぞくり、と背筋が寒くなる。
 辺りに人影は見当たらず、それでも他にできることはなくて叫ぶ。
「助けて! 誰か……っ!」
 野外ライブでマイクレスでも会場に透る声は、広い敷地内に空しく響いただけだった。
 横木にかけた手が小刻みに震え、普段ここまで使うことのない筋肉が限界値に近付いているのがわかる。
(漫画とか映画なら)
 颯爽と現れた誰かが絶体絶命のピンチを救ってくれるのに。
 渾身の力をこめた指先が冷たくなって行く。
(死にたくない)
 頼りない、だとしても他に拠り所のない細い右手を仰いで歯を食いしばる。

 ――でも。

(無理だ)
 見開いた目に、涙が滲んだ。
(俺、両手でだって懸垂三回もできないのに)

 横木を滑り落ちた手はもう何も掴むことなく、空に向けた指の間を航空機のナビゲーションライトが抜けて行く。

 ――衝撃音は昔から苦手だ。

 ――なにかが壊れる音なんてもってのほか。

 人生最悪の音と共に意識が飛ぶ。
 けれどそれも一瞬。
 地面に仰向けに投げ出されたまま、展望台を見上げる。

(……生きてる……)

 だからといって無事な訳もない。
 強打した身体は自力で起こすことができないし、怪我の箇所を痛みで判別しようにもどこもかしこもで無理だ。

「……っ……」
 どうにか動く右手で取り出したスマホのGPS機能をやっとの思いでオンにすると、一一九番に電話をかける。
「……救急車……、……早……、……く……」

 その到着を待つ間、賑やかな街の灯りで星の掻き消された空をただ眺めていた。
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008
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INDEXExceed Mach 1!(シリーズ)
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