004.welcome back! #001

 祖父から受け継いだ名曲喫茶“エリーゼ”のカウンターに立ち、道具類の手入れを終えたところで小さく息をつく。
(冬哉さん、退院してしばらく経つけどどうしてるかな)
 左手首と骨盤に創外固定器を装着し、絶対安静での骨癒合まで八週間。
 日常生活に必要な機能回復の為のリハビリ期を含め、四ヶ月の入院生活を終えたと聞いたのは数ヶ月前のこと。
 マスコミでも大きく取り上げられた、人気メジャーロックバンド“Liaison”のボーカル・トーヤの転落事故。
 都市公園屋外展望台の本来越えてはいけない柵の向こうで生じたそれは、直後には飛び降り説まで出ていた。
 信憑性を与えたのは、作詞作曲の悩みやメンバー同士の確執の噂だ。
 マスコミが明かした現場の状況と事務所の発表により、過密スケジュールによる過労がもたらした事故ということで話は収束している。
 だとしても、僕の不安が払拭された訳ではなかった。
 媒介を挟んで伝えられる華やかな活躍を喜びつつも、なにかを感じ取ったように冬哉さんを心配する省介を見ていたから。
 アマチュアバンド“vapor⇔cone”。
 再びの交代を経て“vapor⇔coneV”が解散した後、冬哉さんと悠斗は“Liaison”でメジャーデビューを果たし、吉良はライブハウス“Vortex of sounds”のPAに、省介は私学の音楽教師になった。
 脱退した暁に替わって省介がドラムを叩いていた“vapor⇔coneU”時代の四人は、道を別った今も特別な絆で結ばれている。
 冬哉さんが心身共に調子を崩して行くのを感じつつも、それぞれが抱えた事情から上手く噛み合わない中で起きたのがあの事故だ。
 過去と現在とで彼と強く係わりを持つ二つのバンドのメンバーは、取りようによってはどうとでも解釈できる展望台からの転落原因のことで罪悪感に苛まれた。

 一人ひとりの内にある心当たりと、窺い知ることのできない冬哉さんの本心。

 彼等を救ったのは、事故当日“Vortex of sounds”で吉良が撮った動画だ。
 多忙な毎日と重圧の中で見ることも少なくなった無邪気な笑顔で、僕達“Garrote/R”のライブ録画を観る冬哉さんの姿はなによりも事故説を強く印象付けた。
 入院中、唯一定期的に面会できていた冬哉さんの従姉・ナツキさんを通しての伝言がある。

 ――自分で会いに行くから、それまで待ってて欲しい。

 僕達は、意思を尊重して待つことしかできなかった。
(本当に大変な事故だったし――)
 今一度ため息をこぼしたところで、来客を告げるドアベルがエントランスの開閉音と共に鳴る。
「あ、いらっしゃいま――」
「よっ☆」
 顔を向けた先には、明るく笑った冬哉さんが立っていて……。
「!?」
 地毛のマロンブラウンはそのままだけど、長かった髪はミディアムウルフに。
 シャツとデニムパンツにロングパーカーという砕けた服装ながら、細身のシルエットとモノトーンでまとめられていて小洒落た印象だ。
 サングラスを外してカウンターに置き、椅子を引く冬哉さんに話しかけた。
「あ、の、退院おめでとう」
「うん。ありがと」
 “Liaison”のメジャーデビュー後はテレビや雑誌を通して目にする機会の多かった“トーヤ”ではなく、友達として見慣れた笑顔で返される。
「メニュー外で悪いけど、保のカツサンド久しぶりに食いたいな」
 同じ商店街内のトンカツ店と喫茶店のコラボ企画として、克也の提案で出したことのあるものだ。
 諸々の理由で期間限定になったものの、所謂裏メニューとして今もひっそり存在している。
 店内にない唯一の具は、今の時間なら克也に揚げてもらえるはずだ。
「わかった。じゃあ、カツを調達してくるから店番――」
 カフェエプロンを外そうとしたところで、スマホを手に冬哉さんが口を開いた。
「もしもし、克也? “エリーゼ”までカツ一枚配達よろしく」
「ちょっ! 呼びつけた!」
 程なく、慌しいドアベルの音が店内に響く。
 駆け込んできたのは予想通り、幼馴染で冬哉さんと共通の友人でもある克也だった。
「早かったなー。お疲れちゃん」
「歩いてだって冷めない距離だからな」
 感心する冬哉さんに、息を切らしながら克也が答える。
 その様子から察するに、揚げて着替えて走ってきたんだろう。
 冬哉さんを心配してたから、早く会いたかっていうのもあるのかもしれない。
「わざわざごめんな。もうすぐ開店時間なのに」
 色を正して謝る冬哉さんに、人の好さがそのまま出た笑みが返された。
「いいよ。ってか、顔見せるなら事前連絡すりゃいいのに」
 水臭ぇな、と続けた克也からは、(なんにしても、思ったより元気そうでよかった)という心情が窺える。
 受け取ったカツをすぐに調理し、プレートに乗せてカウンターへ運んだ。
「でも、冬哉が戻ってきたなら“Liaison”の活動再開も間近だな」
 師匠でもあるお父さんの店がまだ準備中であることから、慌てた風もなく克也が言う。
 幸せそうに租借していたカツサンドを飲み込み、冬哉さんが気の抜けた口調で答えた。
「まー…、そんな日はこないかもだけど」
「なんで!?」
 身を乗り出して聞けば、しれっと即答される。
「俺が歌わないから」
 予想だにしなかったことに、克也と揃って声を上げた。
「はぁああああ!?」
 そうこうしている内に、僕のもう一人の幼馴染であり冬哉さんと共通の友人でもあるボンがやってくる。
 これくらいの時間に来店するのは彼の日課だ。
「朝食を食いにきてみれば」
「早く頼まないとモーニングセットギリだぞ」
 呆れ顔で佇むボンを冬哉さんが促す。

002
☆☆☆
INDEXExceed Mach 1!(シリーズ)
Since/2011 Copyright (C) 天乃 球